人物相関図 戦艦大和建造計画~推進派VS反対派~

戦艦大和建造の承認を巡る「新型戦艦建造計画会議」。そこでは新世代の海戦を見据える“航空主兵主義派”と、 海軍の伝統を重んじる“大艦巨砲主義派”が真っ向対立。情報隠蔽や妨害工作から、誹謗中傷・嫌がらせまでなんでもあり、 超ネチネチした権力闘争の場と化す。その会議で争う、中心人物を相関図で紹介!

~映画に登場する実在人物~

山本 五十六 やまもと いそろく 1884(明治17)年-1943(昭和18)年 日本の海軍軍人。第26、27代連合艦隊司令長官。最終階級は元帥海軍大将。前線視察の際、ブーゲンビル島上空で戦死(海軍甲事件)。アメリカには1919年~21年(ハーバード大学留学)と、駐米大使館付武官として1925~28年の二度にわたって駐在。帰国後、軽巡洋艦「五十鈴」艦長、空母「赤城」艦長を経て、1930年に海軍航空本部技術部長を就任。航空主兵を強力に推進した。 嶋田 繁太郎 しまだ しげたろう 1883(明治16)年-1976(昭和51)年 日本の海軍軍人、政治家。海軍兵学校32期、山本五十六の同期。第47代海軍大臣。第17代軍令部総長。A級戦犯として終身刑。山本は嶋田を「おめでたい嶋ハン」と揶揄していたと言われている。 宇野 積蔵 うの せきぞう 1884(明治17)年-1935(昭和10)年  日本の海軍軍人。1927(昭和2)年に海軍大佐を任官。羽黒,霧島,長門(ながと)などの艦長を歴任した。 大角 岑生 おおすみ みねお 1876(明治9)年-1941(昭和16)年 華族の出で、海軍大臣任期1933年から翌年にかけて、軍縮派追放人事「大角人事」を敢行。次期軍令部総長の座を永野修身と競っていたが、1941(昭和16)年、中国視察中に航空機の墜落により事故死。 永野 修身 ながの おさみ 1880(明治13)年-1947(昭和22)年 日本の海軍軍人。海軍兵学校28期、海軍大学校甲種8期。第24代連合艦隊司令長官。第38代海軍大臣。第16代軍令部総長。海軍の三顕職である連合艦隊司令長官、海軍大臣、軍令部総長を全て経験した唯一の軍人。A級戦犯の容疑で東京裁判中に巣鴨プリズンにて病死。